フロンティア
インタビュー

パンじぃVOL.2 「ちびっこうべ」からスタートした街づくりの広がり

前回は「パンじぃ」プロジェクトのへの思いについてお伺いいたしました。
2回目の連載では本プロジェクトスタートのきっかけとなった「ちびっこうべ」の取り組み、「デザインが真ん中」にあることの意味とそれがもたらす行動変容について、更にはプロジェクトを推進していく中で「つなぐ人」の重要性について伺いました。

聞き手・プロジェクトマネージャー北村 貴

デザイン・クリエイティブセンター神戸 センター長 永田 宏和(ながた ひろかず)
1968年兵庫県生まれ。企画・プロデューサー。1993年大阪大学大学院修了後、大手建設会社勤務を経て、2001年「iop都市文化創造研究所」を設立。2006年「NPO法人プラス・アーツ」設立。2012年8月よりデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)の副センター長、2021年4月よりセンター長を務める。主な企画・プロデュースの仕事に、「水都大阪2009・水辺の文化座」、「イザ!カエルキャラバン!」(2005~)、「地震EXPO」(2006)、「ちびっこうべ」(2012~)、「EARTH MANUAL PROJECT展」(2013~)などがある。

「ちびっこうべ」からスタートした街づくりの広がり

―この活動の前提となる取り組みがあったと伺いました

「ちびっこうべ」という、神戸版キッザニアの事業です。
これも妄想から始まり、みんなで作り上げていきました。このイベントを通じて、パン作りのシェフたちと生きた関係性が築かれました。

「ちびっこうべ」事業がなかったらパンじぃのプロジェクトはなかったかもしれません。パン教室の講師をお世話になった西川功晃さん(ザ・マーシュ・オーナーシェフ)に頼みに行ったら、「また、お前らか!こんどは何を企んでいるの?」と言われたそうです。
西川シェフは「子供向け、女性向けの教室はなんぼでもやったことあるが、おじいちゃんなんてない。聞いたこともないから、やってみるか」と協力してくれたのです。
ぼくたちにはこのプロジェクトで築いてきた関係性や信頼性があります。まさに一緒に汗を流してきた「同志」がいてこそ、この「パンじい」の事業が生まれたのです。

 

「パンじぃ」の直接的なきっかけは2015年の「ライフイズクリエイティブクリエイティブ展」です。
超高齢社会における人生のつくりかたについて考える展覧会で、高齢者を募集して構成から会場づくりまで、みんなを巻き込んでやりました。「ワクワクする高齢社会をつくるための8つのラボ(研究室)」として、恋愛、食、終活、シニア防災、オールドタウンアなどテーマを選び、トークイベントやワークショップを展開しました。その一つから生まれたのが、この「男・本気のパン教室」(パンじぃ)でした。「食で何か生きがいになるものをつくれないか」というのが起点です。

 

  • 取り組みの真ん中に「クリエイティブ」があることの重要性を非常に感じます。
     参加者や地域にはどんな活動が生まれ、さらにどんな広がりがあったのでしょうか?

    ターゲットはリタイヤ後の男性です。多いのは60~70代で、最高年齢が83歳です。
    おっしゃる通り、「クリエイティブ」であること、「デザイン」を大切にしていて、「パンじぃ」のロゴマークにもこだわりました。「パンじぃ」が教室で着用するおしゃれなエプロンは、KIITOに入居して活動する「洋裁マダム」たちが制作しています。そうしたブランディングも重要です。

「パンじぃ」の取り組みに注目した大丸百貨店からイベントの依頼がKIITOにありました。最近、商業施設も地域に根差した活動や地域貢献に非常に着目しています。神戸市の元町にある目抜き通りの大丸店舗前のスペースで、「オープンカフェをしましょう!」ということになり、地元の子どもたちがカフェを運営する。そこに提供するパンを「パンじぃ」たちが焼きました。パンを焼き終わった後、「パンじぃ」たちが外で挨拶もしています。コロナ禍の今は中止していますが、以前は入場券が即完売になり、行列ができるほどの人気です。一期生は、KIITOのイベントでパン販売もしています。

つなぎのデザインと中間者の役割

―プロジェクトは5期生まで続いてきているのですね…

1回目はまさに実験なので、KIITO独自で教室を開催しました。しかし2回目以降は東灘市の社会福祉協議会と組んで、その後の活動は自走しています。
ではなぜ、社協のようなつなぎ手=クライアントが必要なのでしょう?
もともと男性は「地縁」(地域の中での関係性)が弱く、「社縁」(会社の中での関係性)のみで生きてきた人がリタイヤして地域や家に戻りました。そんな人たちがいざ「私パンを焼けます!」なんて地域の誰に言ったらいいのかも分からない、そもそも言っていいのかも分からない。
だから、「つなぎのデザイン」が非常に大事なのだと思います。もともと地域には、「パン屋さん」も「おじいさん」もいたはずなのに、だれも「つないで」はいなかった。「つなぎのデザイン」の役割に気づいて、2回目以降はきちんと、参加者と地域をつないでくれる団体と一緒に開催することをルールにしています。

―つなぎのデザイン、重要なワードですね

2期生は東灘市の社協と組んでいるので、もともとのゴール設定が「地域のカフェでパンを焼くこと」です。このあと3期生、4期生、5期生と続き、その後、日本財団が、この活動に注目してくれました。
ぼくらとしては全国どこでもできる、ローカライズのモデルにしたかったので、佐賀県武雄市の図書館、広島県大竹市の玖波公民館の二か所で展開しました。しかし地方に行くと、なかなかパートナーとなるパン屋さんがない。そこで「アーティスト イン レジデンス」ならぬ、「シェフ イン レジデンス」で神戸のシェフたちに出張してもらいました。シェフには、「温泉に行って、おいしい食べ物があるからいかない?」と誘って(笑)武雄市では図書館の前でパンマルシェを実施しました。玖波公民会では「KUBA男パン職人」と題して、毎月1回、パンの即売会を開いています。

―これからもパンじぃは男性だけなのですか?

いろいろ展開してわかったことは料理レベルに関しては横一線がいいということです。
「パンじぃ」のほとんどが料理ができません。
また私自身も実際に参加してみて思うことですが、パン作りは材料の計量が非常に厳密でステップも明快。
意外と男性には向いているようです。生地を寝かせる一次発酵、成形から焼き上げるまでの二次発酵と程よい休憩時間を挟むので、その間に話が弾み、仲が良くなります。

科学的にアプローチする勉強会があると熱心にメモを取る。探求的な方も多く、教えてもいないのにメニューが増えていたりすることも、よくありますね(笑)
「パンじぃ」たちのその後は非常に面白いですよ。子ども向けに教室を開いたり、講演を頼まれてセカンドライフを楽しんだりしている人もいます。今後は活動報告写真や動画を撮れる「カメラマンじぃ」をつくりたい。「カレーじぃ」、「コーヒーじぃ」、「マドレーヌじぃ」さまざまに展開して、「これでカフェができるね」と話しています。

 

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執筆者:HaNa
ライター
1974年生まれ、埼玉県出身。ジャーナリストの父の背中を見て、新聞記者になりたいと思い新聞社に入社。社会部を振り出しに、政経部、地方部などで16年間、記者として働く。「取材、書く」だけではない、企画から提案、地域おこしまで何でもできる新しい時代の記者を目指している。家庭では夫(単身赴任中)と9歳の息子の3人家族