リアル移住物語

「あと10年働けるなら、馬×地域振興の領域で、自分の力を使ってみよう」 

道東ホースタウンプロジェクト 龍 千恵さん(55歳)
30年間勤めた会社を、2022年55歳で退職。会社員生活では、数年サイクルでやりたい仕事に手上げしながら異動をくりかえし、様々な仕事に従事。退職前は人財本部の部長として活躍。現在は、東京と北海道を行ったり来たりしながら、ご夫婦で道東ホースタウンプロジェクト*を推進。2023年の北海道への完全移住準備中。一足先に北海道に拠点を移している夫と、大学院に通う息子さんの3人家族。

*道東ホースタウンプロジェクト(https://dotohorsetown.jp)
は、馬事関連事業の安定的継続と地域の活性化のための北海道標茶町と民間事業者との官民連携のプロジェクト

「セカンドキャリア」は、これまで生きてきた人生のその先を、自ら作り出していくプロセス。ファーストキャリアのようなレールはありません。これまでの自分の経験と、ネットワークと、夢と志、使命感・・・様々な思いを胸に、自分らしいレールを自分で作っていく。だから100人いれば100通りの「セカンドキャリア」の軌跡=物語があります。

 

リアル移住物語の第2話は、家族そろって馬好き!が高じて、道東で「馬を核とした地域づくり」のプロジェクトを始動させた龍千恵さんの物語です。まさか、こんなことになるなんてねーと夫婦で話をするという龍さん。始まりは、小学生だったお子さんを乗馬クラブに入れたことだと言います。楽しそうなお子さんがうらやましくて、自分たちも始めた乗馬。家族旅行は乗馬をしに北海道へ、を10年間続けていくうちに、龍さんにとって「馬」が人生の大事な柱になっていきました。

「私は、馬のプロではないけれど、乗馬のお客のプロ」と語る龍さんのセカンドステージ、セカンドキャリア、2023年、北海道への移住とともに、本格的に始まります。

 

 

龍さんの移住物語4つのステップ

 家族で毎年出かけていた道東、乗馬ができる牧場が減っていく…
       このままだと北海道で乗馬を楽しめなくなる!という危機感を抱く
 道東の二つの町に「馬による地域おこし」の企画を提案。
       その中で標茶町がやろう!と言ってくれる
 夫が退職して標茶町に移住、PJに専念。妻は東京の会社で仕事しながらPJのお手伝い

 晴れて?妻も退職して、仕事の軸足を標茶町のPJに。2023年の移住にむけて準備中。
       これからは、馬を核とした地域振興をライフワークに

セカンドキャリアを作った3つの力

1.地域の課題やニーズに自分の強みをあてて、「自身のバリューをつくる」
地域行政や事業者など様々な立場の人たちと一緒に取り組む中で、自分はどのような役割を果たせばよいのかをまず考える。自分のやりたいことの前に、相手がやってほしいことと自分ができることの重なりで価値を出す。それが“仕事”になる。
2.「会社員時代のビジネススキル」が地域での活躍の道を切り開く
コンセプトを明確にして、企画を立て、分かりやすく説明をする。会社では当たり前のビジネススキルが、地域での企画提案、プロジェクトの推進、助成金の申請などで力を発揮。
3.顧客ニーズを知り尽くした「乗馬のお客のプロ」としてのマーケティング力
馬の生産も飼育もわからない。馬のことは素人。だけど、どんなサービスがあるとうれしいか、乗馬サービスの価格の標準はいくらか、……自分たちは乗馬のお客のプロ。10年以上全国各地で客体験をしてきたからよくわかっている。それがバックボーン。

 

趣味の乗馬がいざなったセカンドステージ、セカンドキャリア

動物好きの息子さんを乗馬クラブに通わせたことが始まり

龍さんと馬の出会いのきっかけは息子さん。小さいときから動物好きだった息子さん。観光地で乗馬体験を喜ぶ様子に、小学校低学年の時、東京近郊にある乗馬クラブへ息子さんを通わせ始めます。楽しそうに馬に乗る息子さんを見ているうちに、「あれは楽しそうだ! 自分たちもやってみたい!」と、ご夫婦で乗馬クラブに入りました。家族で「乗馬」にはまったことが、龍さん一家と馬の、今につながる素敵な物語の始まりです。

 

 

勝手に危機感を持ち、頼まれもしないのに企画書を書く

すっかり乗馬にはまった龍さん一家、もっと広いところで馬に乗ってみたいと、ホーストレッキングができるところを探して北海道の道東に行き着きます。夏休みはもちろん、多いときは年に2,3回道東に通うようになって数年がたったころ、去年までやっていた事業者さんが廃業したり、ホーストレッキングのサービスをやめる牧場も出てきました。「このままだと、乗馬ができなくなる!」と思った龍さん。いてもたってもいられなくなり、馬を核とした地域振興の企画書を書きあげます。「今考えたら、よくやったなと思うけど」と笑います。「ただただ、このままでは自分たちが馬に乗れなくなる!」という強い危機感が龍さん夫婦を突き動かしたのだと言います。

図版:道東ホースタウンプロジェクトのサイトより(https://dotohorsetown.jp

長い会社勤め、企画書を書くことばかりやってきた

龍さんが書いた企画書は、バラバラに存在していた牧場とホテルを連携させて付加価値を高め、ホーストレッキングのツアーとしてサービスを設計するというもの。ただ、民間の事業者は小規模で新たな取り組みをするために投資をする余力がありません。これは行政を巻き込むしかないということで、道東の二つの町に「馬を核とした地域振興の企画」を提案します。

「地域にはリソースはあるけれど、それらを繋ぎ、付加価値をつける人がいなかった。私は、会社で企画を書く仕事をばかりやってきたから、その延長でできた」。龍さん夫婦が勝手に!?に書いて持ち込んだその企画、標茶町から「いっしょにやってみたい」と言ってもらえ、そこから「道東ホースタウンプロジェクト」が始動しました。

 

自分は馬のプロではないけれど、乗馬のお客のプロ。

馬が好きで、休暇はすべて乗馬に充てていた龍さん一家。北海道はもちろん全国各地でホーストレッキングをしてきました。価格やサービス内容について、実際にお金をはらって体験してきているから、お客様目線でどういうサービスがあったらうれしいか、料金はどれくらいが標準かがわかります。「そのことが、すごく役に立った。馬のことをやっているけれど、馬の飼育や管理については何も知らない。だから馬のことは事業者さんにお任せし、自分たちはお客のプロとしてサービス開発や広報活動などを担当している。」

「地域振興のプロジェクトにおいては、自分のやりたいことの前に、相手がやってほしいことと、自分ができることの重なりの中から自分たちが担う部分を見極め、実行し、わかりやすく効果を出していくことが重要」と龍さんは言います。

トレッキングツアーだけでは、標茶町の馬事業は残せない

初期のころは、トレッキングツアーのプログラムを作って、それでお客様を集められるかどうかをやっていました。しかし、北海道はものすごく広い! どこへ行くにも時間がかかる。牧場とホテルの間でもかなり距離があります。二泊三日であれも見たい、これもやりたいは、かないません。トレッキングツアーだけでは馬事事業の継続は難しい、スケールもしないということがわかりました。
プロジェクト活動を成功させるには、もう一つ別の馬事業の柱が必要でした。

 

 

あるものを活かして、「馬の預かり事業」を始める

今ある環境を活かし、あまり大きな投資をしなくても始められる事業はないか……龍さんご夫婦が考えたのが、乗馬の引退馬を預かるという事業でした。

競走馬を引退した馬の預かり事業はこれまでもありましたが、乗用馬が余生を過ごす場所はあまりありませんでした。

引退乗用馬の受け入れ牧場を、行政がふるさと納税を活用しながら支援していくことで、引退馬を預託する乗馬クラブ等の負担も軽減されるしくみを創れれば、より多くの引退乗用馬受け入れにつながります。こうして、行政と連携した馬の事業として二つ目の「馬の預かり事業」を始めます。
図版:道東ホースタウンプロジェクトのサイトより(https://dotohorsetown.jp

「俺、もう会社辞めてこっちのほうやりたいわ」55歳で退職した夫

「道東ホースタウンプロジェクト」の活動が広がっていく中で、夫が「俺、もう会社辞めてこっちのほうやりたいわ」と言いだします。その時夫は55歳。会社をやめ、住民票を標茶町に移し、このプロジェクトに本腰を入れ始めました。標茶町も龍さんの夫を地域おこし協力隊の隊員として任命。その後プロジェクトを委嘱する形をとりました。

龍さんも会社をやめていっしょに北海道に行きたい!という思いがなかったわけではありません。が、その時、夫から「君も55歳までは会社勤めをしてはどうか」と提案され、経済的なリスクヘッジの意味もあり、龍さんは東京で会社勤めを続けることにしました。

 

体力的にあと10年! 私もプロジェクト活動に軸足を移したい

夫が会社をやめて数年後、龍さんは55歳になっていました。会社の定年は65歳、まだ仕事できるかもと思わないでもなかったという龍さん。けれど、道東でのプロジェクトも軌道に乗り、標茶町以外の行政からもサポートの依頼が来るようになり、「馬を核とした地域振興」の仕事が、自身のセカンドキャリアとして一定の対価を得られるイメージが出来てきました。「もっと自分のパワーをプロジェクトにさければ、やれることが広がる!」という思いがこみ上げてきます。

「活動的でいられるのが70歳くらいまでだとするとあと15年。10年は馬×地域振興の仕事に打ち込みたい! であれば今、一歩を踏み出そう」。龍さんは会社をやめ、プロジェクトに軸足を移す決断をします。

 

満足度75%
自由度が高い働き方は自分に合っているので満足度高。但しまだスタートしたばかりで試行錯誤中&思ったより忙しすぎてマイナス…で75%くらい

「馬×地域振興の仕事」で収入を得られるようになったことがターニングポイント

なぜ、北海道へ移住する決断ができたか?

それは「馬×地域振興」のプロジェクト活動を通して、収入を得られるめどが立ったことも大きかったと龍さんは言います。

「お金(自分で稼ぐこと)は“精神的な自由を得る手段”として大切」だと考える龍さん。
「金額の多寡ではなく、“やりたいこと”で、一定の収入を得られる目途がつかないと会社をやめるまでの決心はつかなかったかもしれない」とのこと。

龍さんは、馬×地域振興のプロジェクトが軌道にのり、収入のめどが立ったことで、「会社員として働く」ことをやめ、「馬×地域振興のプロジェクト」というセカンドキャリアを選択する自由を得ることができたのでした。


セカンドキャリアは、「仕事」×「好きなこと」で、自分なりの割合を探せばよい

「お金(自分で稼ぐこと)は“精神的な自由を得る手段”として大切」とは言え、「セカンドキャリアを考えるとき、“100%仕事“=収入を得る活動でなくてもいいのではないかと龍さんは言います。

「“100%好きなこと”なら、それは本当の趣味だしボランティア。人によって50%×50%でも60%×40%でもいいし、年齢を重ねていくと配分が変わっていくこともあるかもしれないけれど、仕事、好きなこと、どちらの要素もあるセカンドキャリアを探していくとよいのではないか」。

シニアは今まで頑張ってきたから選択肢はたくさんある。案外、悪くない

龍さんは、続けて、力強く、こうアドバイスしてくれました。
「シニアは、今まで頑張ってきた経験の蓄積で、セカンドキャリアの選択肢は幅広い。それまでに培ってきた強みを使ってバリューが出せる領域や役割を探してみる。それがセカンドキャリアにつながっていくかもしれない」さらに、「“自分ならではのニッチな領域”を見つけられたらベスト。規模が小さくていいなら、ニッチなほうがより競争力があるから。」

家族みんなが好きだった乗馬にのめりこんでいった先に、セカンドキャリアを創り出した龍さんご夫婦。今年、東京の家を引き払って、北海道へ完全移住の予定です。

 

Writer’s Eye

「夫ともよく、どうして、今、北海道で馬に関わる仕事をやっているんだろうねと話をするんですよ」。そして、「あのタイミングで決断したから、けっこうここまで活動的に動けたね、パワー出せたね」とも話すそう。

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・道東に長く通う中で、培われた馬の事業者さんとの関係性

・大好きな道東の馬事業の継続が危うい!何とかしたいという動機

・ビジネススキルという自分の強みの自覚

・馬×地域振興というテーマの発見

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龍さんご夫婦のセカンドキャリアを形作った要因を、こうしていろいろ分解していくこともできます。
しかし、私がなにより大事だなと思ったのは、「動いた」こと。
企画書を書き、事業者さんを巻き込み、行政に持ち込んでプロジェクトを始める。
「動くこと」よって開けていき、「動くこと」によって繋がっていった龍さんご夫婦のセカンドキャリア開発物語。

確かに、当たり前ですが、動かないと始まらないですよね。
でも「動くこと」で、「始まる」んだなと、改めて教えられました。

編集後記

素敵だなと思ったのは、家族の「好き」からセカンドキャリアが生まれていたことと、夫という同志の存在。私も家族との「好き」を楽しむ時間、大事にしようと思いました。

執筆者:荒川悦子(取材・文)
ライター
教育関連企業に勤続40年。育児関連の編集者をつとめたあと、人財開発部に勤務。ワーキングマザー歴30年、ワーキンググランドマザー歴1年。まだ始まったばかり。
50歳を過ぎてから消費生活アドバイザーとキャリアコンサルタントの国家資格を取得。これに健康管理士の資格を加えて、「仕事・生活・健康研究所」の看板を掲げることを妄想中。一足先に60歳で定年退職した夫と二人暮らし。近場と遠方に娘が二人孫二人。趣味は山歩きと水泳。