フロンティア
インタビュー

仲山進也さんに聞く② 人生100年時代、組織の中での働き方とセカンドキャリア 『組織の「ネコ」という働き方』の著者

いかにして「トラリーマン」に進化したのか、楽天初のフェロー社員になるまで

組織の働き方には4タイプあるとし、自由かつ持続的な働き方をする「トラ」、「ネコ」気質の働き方にスポットを当てた仲山さん。自身も典型的な「トラリーマン」(組織に所属しながら、「トラ」として働くサラリーマン)だとある人に指摘され、『組織の「ネコ」という働き方』の著書を書くきっかけになりました。仲山さんがどのようにして「トラ」になったのか、また、楽天で唯一のフェロー社員(兼業自由・勤怠自由の正社員)になるまでの経緯を語ってもらいました。

仲山考材株式会社 代表取締役/
楽天グループ株式会社 楽天大学学長
仲山 進也(なかやま・しんや)
慶応義塾大学法学部法律学科卒業。シャープ株式会社を経て、創業期の楽天株式会社に入社。2000年に楽天市場出店者の学び合いの場「楽天大学」を設立。2007年に楽天唯一のフェロー社員となり、自らの会社を設立。「横浜F・マリノス」とプロ契約を結び、コーチ向け・ジュニアユース向けの育成プログラムを実施。20年にわたり、中小ベンチャー企業を支援しながら、指示命令のない自律自走型の組織文化・チームづくり、長続きするコミュニティづくりや働き方を探求し、関連する著書も数多い。

-楽天初で唯一のフェロー社員(兼業自由・勤怠自由の正社員)になるまでの経緯についてお聞かせください。

ただのイレギュラー。たまたまです。私と同じことをすれば、誰もがなれる、とも限りません。前職のシャープ勤務時代は、言われたことをただやる日々でした。上司からは、「仲山は、納得がいかないときはすぐ顔に出る」と揶揄もされましたが、「働くとは、こんな感じなのか」と漠然とした思いがありました。会社の同期で同じく「くすぶり仲間」がいて、互いに「もっと思いっきり働きたい」と話していました。一足先に退職して、楽天に行ったそいつから誘ってもらったのがきっかけです。くすぶっていた「ネコ」仲間が、楽しそうにしているのをみて、自分も楽しく働ける予感がありました。入社3年目に入った4月。そいつから電話がかかってきて、一言目に「どう、そろそろ?」と言われて。「そろそろといわれましても」と答えるも、そいつは「人足りていないんだけれど?」(笑)。

 

とりあえず3年は勤めたいと思っていたので、その時点でまだあと1年と思っていた翌月、そいつと会食することになりました。当時、ぼくはインターネットやショッピングモールそのものがよく分かっていない。けれども、そいつは「楽しい!」と話す。来年4月(1年後)には、もっと社員を増やす計画と聞いて、今入社して20番目の社員になるか、来年4月まで待って100番目の社員になるか。そう考えた時、「石の上にも3年」よりも、「20番目」にひかれていました。

 

「とりあえず社長の話を聞きたい」となり、その日のうちに、社長(三木谷浩史氏)と10分ぐらい雑談しました。「インターネットのことはよく分からない」と思ったままを話し、社長からは「帰ったらインターネットで買い物してね」とか言われて(笑)。その流れで、その日のうちにネットで東京の住まいを探すことに。

 

帰りに、楽天市場の出店者に渡される資料一式を持たされ、その中に新聞記事があって、楽天を「インターネットで全国の中小企業を元気にする」と紹介していました。列車の中で「こういう会社なんだ、面白そうじゃん」と、初めてどんな会社か理解したのです。自分の実家も中小企業だったので、ぴったりとくるものがあったのかもしれません。

 

―楽天に入社してからは、どんな働き方だったのでしょうか?

もう地獄!初日、朝8時に全社ミーティングがあって、話している言葉の9割方が片仮名です。入社3カ月ぐらいで、ようやく右と左が分かるような状態。それなのに初日から、ばんばんかかってくる電話に「とにかく出ろ」ということで、冷や汗かきまくりながら取りまくりました。「初日だから早く帰っていいよ」と言われたのが、午後10時半。次の日からは、日付が変わってから帰る日々。3カ月ぐらいたって、「初めてきょうはだれにも質問せずに過ごせた」という感じでした。ブラウザとネットスケープの意味すら分からなかったんです。質問に答えてくれた人が、私より20日ばかり早く入社した人で、当時の時間軸はまさに、数日早く入社しただけで、ものすごく時間の開きがあるように感じました。

 

―著書のなかにもある「加減乗除」でいくと、どんな時期でしたか?

まさに足しまくりの日々でした。だって、マイナスからのスタートだったので、「加」しまくりでも死なない。それほど、がむしゃらに吸収する時代でした。当時は、楽天市場に出店する店舗を1人で80店担当していて、そこから毎月1人20店舗を新規獲得しようというのが目標でした。「目標必達」という、組織風土だったので、単純に計算すると半年後に1人200店担当することになる。人の採用が追い付かず、自分の中で「キャパオーバー」と、十分にサポートできないできていないという感覚がありました。

 

そんなときに、担当店舗宛にメルマガを出せる機能が新たにできたんです。不定期的に、試行錯誤しながらメルマガを書き始めました。そのことで、サポートできていない罪悪感がだいぶなくなりました。今までご無沙汰している店舗に、久しぶりに挨拶するときの抵抗感や距離感がだいぶなくなり、逆に向こうから「いつも読んでいます」、と言われるようになりました。

 

イベントや広告をやって、瞬発的に売る力はぼくにはありません。「メルマガの内容が、ほかの人より変わっているよね」ということで、楽天大学の仕事がまわってきたのだと思います。1月2日、当時副社長だった本城愼之助さんから、「楽天大学をやらない?」と言われて、「(今月)21日から始まります。内容は6講座で、1講座1万2000円です」と、説明を受けました。私が「どこまでできているのですか?」と尋ねると、「一個もできていない。よろしく!」と爽やかに言われて(笑)。とりあえずよく分からないけれど、「やります」と即答でした。

 

毎月20店舗増える新しい出店者に、30分~1時間かけてレクチャーを繰り返してきました。テープレコーダーのように繰り返す業務を何とかならないかと思っていました。この楽天大学は、もしかしたらその代わりをやってくれるのかもしれないと思い、「必要ですよね!」と。

 

―「ネコ」から「トラ」になった瞬間ですか?

自分で「トラ」と思ったことはありません。著書でも紹介した、藤野さんに初めて言われました。ただ、ほかの人より、量をこなす稽古はやってきたのかなと。目の前に、何百店舗とネット事業に試行錯誤する経営者がいて、うまくいく人、いかない人、何パターンもみるこができました。これは非常に恵まれた環境。さらに、有料で講座(楽天大学)を受けに来る人は、より熱心なわけで、成功することも多く、そうした知り合いが徐々に増えていったのです。

 

自分では意識したことはありませんが、ネコからトラへの境目の基準として、著書で紹介した「加減乗除」(※図)の理論でいうと、誰にもない「強み」の旗が立つときが、「減=引き算」から「除=掛け算」にいく境目ではないでしょうか。他の人からも、「あの人はあれが得意だよね」と言わるようになるまで「強み」を確立した状態になると、「その強みが必要だから、一緒にやらないか」と、周囲から声が掛かるようになります。自分の強みと他人の強みが掛け合わせって、仕事が生まれる。これが「除」、「掛算」のステージです。誘われるということは、他の人とプロジェクトに進むこと。これが、トラへと進むステージになります。ぼくでいうと、2000年にヴィッセル神戸に行って、まったくアウェイの環境で向こうの人と協力しながら事業を成し遂げて、その経験が「掛算」の経験かなと感じます。

 

「強み」が確立する具体的な基準としては、一つのテーマについて、本一冊分ぐらいのコンテンツを書けるまでになるまで。ぼくでいうと、楽天大学の講座の内容や経験を吐きそうなくらい大変な思いで1冊にまとめたことでした。

※仲山さんの著書「組織にいながら、自由に働く。」(日本能率協会マネジメントセンター)の中で、働き方は「加」から「除」の順番、四段階で進化すると提唱している。

「加」のステージ 選り好みせず、できることを増やす(夢中スイッチと量稽古)
「減」のステージ 得意でない仕事を手放し、強みに集中する(断捨離と専門化)
「乗」のステージ 強みと強みを掛け合わせる(独創と共創)
「除」のステージ 仕事を因数分解して、ひとくくりにする(兼業と統業)

 

-そんな大変なひたすら量を積む「加」のときに、自ら「部長職」を降りてもいますね

振り返ると、死ぬほど忙しくなり、加速度的に業務が増えていく。「楽天大学」も軌道に乗り、管理業務も増えて、人事考課面談なんていう、なんのためにやっているのか分からないことに時間をとられて、気が付いたら1カ月、1つも新しいプログラムを作れないことに気づきました。新規事業が仕事なのに、できるのが自分一人しかいなくて、ほかにすぐできそうな人も見当たらない。「このまま続いていたらだめじゃないですか?」となり、マネジャー業務を離れました。「部長職を自ら降りる」というと、ショッキングに聞こえるかもしれませんが、この会社では部長だろうが、平社員だろうが、同じように馬車馬のように走っているので、「それならば、得意なことをやっていたほうがいいのではないか」という選択肢でした。もし「イヌ」になる選択をしていたら、今よりめっちゃお金持ちになっていたのかな(笑)。それ以前に、早く辞めていたでしょう。

 

そもそも楽天に入った時点で、周りからは「仲山も終わったな」といわれ、当時の社会的には、終わっていたのです(笑)。よく楽天で、『ネコ』としてのプレースタイルを確立するまでには、ハレーションはなかったのか?」と聞かれますが、そもそも会社がカオスでした。全員が「ネコ」と「トラ」という状況の中で、ぼくはぼくのプレースタイル、「店舗さんたちと遊ぶ」みたいなスタイルを確立してきました。会社が大きくなるにつれ、「イヌ」タイプの人も入社してきて、組織がしっかりしてくる。そんな中でも今までのプレースタイル、「ネコ・トラタイプ」のプレースタイルを続けてきて、ちょっと浮いた存在になったのかな。だから、ぼくが変わったのではなくて、会社が勝手に変わったんです(笑)。

執筆者:HaNa
ライター
1974年生まれ、埼玉県出身。ジャーナリストの父の背中を見て、新聞記者になりたいと思い新聞社に入社。社会部を振り出しに、政経部、地方部などで16年間、記者として働く。「取材、書く」だけではない、企画から提案、地域おこしまで何でもできる新しい時代の記者を目指している。家庭では夫(単身赴任中)と9歳の息子の3人家族