愛すべきトホホ人図鑑

「これいくらだと思う?」

こんなことがあった。先輩がちょっと見ない形の素敵なリングをしている。かわいいなと思いお伝えしたら「でしょ! いいでしょ!」と気持ちのよい反応。

大人のこういう素直な感じは好きだな~と思ったその瞬間、「これ、いくらだと思う???」をぶっこんできた。やめてーーー。仲良しのひとだったので「そういうのきらいです~」と返して話を進めたのだが、聞けば、彼女がどこかのワークショップで自作した特別なリングだったのでプライスレスなものだったというオチ。たいそう素敵な話だ。そのまま話しても楽しくていい話じゃないか。それなのになぜ人間は「いくらだと思う?クイズ」を挟みたくなるのだろう。「若いですね」「いくつに見える?」が禁止になって久しいがまだまだ使う人も多いのと似ている。

 

がまんすることを覚えたい

例えば大きな会議での提案や、渾身の文章を発信したあとなど。人間だもの、反応が気になる。

正直、感想を聞きたい、早く聞きたい。いいことも悪いことも聞きたい! はやる気持ちがあふれ、「ねえ、どうだったどうだった?」と周囲に聞いてしまう。もしくは「イマイチだったよな~」と自分を下げて反応を見たりもする。周りは「うん、とっても良かったですよ」「素敵でした」と答えるしかない。よほど近い距離感なら「あれはああしたほうがいい」といってくれるかもしれないが、そこまで思ってくれる人は、こちらが聴かなくても助言をくれる(と思う)。

精一杯やったことへの承認を何とかして他人から引き出そうとするのは人間味があるともいえるが、セカンドキャリア期には自分の中で気持ちを熟成させて泰然とすることを覚えたい。自分の未熟なところは自分が一番よくわかると知っている世代として、自分をひとまず承認することは大人のたしなみなのではないだろうか。

これわたし?と思ったら
自虐バリアを解除して、黙って耳を澄ましてみる
本当の反応を感じたいなら、大人は簡単にフィードバックを求めないほうがいいのではないか(仮説です)。若いときには周囲の助言を手掛かりに自分を磨いていくが、大人同士には忖度がある。本当のフィードバックが聴けるのは、感想を聞きたい気持ちより、感想を述べたい聴衆や読者の感情が上回ったときだ。求めずに、心を開いて、耳を澄ます。しばらくの間、私もそんなふうに自分と周囲を観察してみようと思う。結果はまたこちらで。

愛すべきトホホ人図鑑とは

自分のことって自分では意外とわからないもの。「それなりにがんばってきた。成果だってなかなかのもの(周りもそう思ってくれているに違いない…)」。と思っていても、長所と自認するところはちょっと鼻についていたり、短所と思っているところが意外と人に愛されていたり。そこかしこにいる「愛すべきトホホ人」の中に、もしかしたらあなたに似た人がいるかもしれません。違う角度から自分を見つめ、「次のじぶん」への一歩を踏みだすステップを、広く、軽くするきっかけになれば幸いです。

執筆者:ふしみしょうこ
ライター
北海道生まれ東京在住のコピーライター。会社勤めと並行して、ふるさと北海道にまつわるコラムを書いたり、精神的支柱である演劇の界隈で活動、執筆する。人生は劇場であり、いただいたお役を工夫して演じるのが面白さ、という気持ちで生きております。