愛すべきトホホ人図鑑

シン・あいさつ構文「愛ある…」

ひとにお礼をするときに、「感謝いたします」「ありがとうございました」だけではなんだか足りないと思う時がある。
そんな時、お手紙で長文を書く場合などは様々なレトリックで伝えることができるが、LINEなど気軽なコミュニケーションツール上では長くなるし重たい。サクッと、しかも豊かに伝えたい、そんな気持ちに「愛」という言葉は意外とはまる。
うれしい! ありがとう! 知らなかった! 初めて! などの感情の動きを、「愛」というどでかい言葉は包むことができる。「主語がでかい」という言い回しも昨今聞かれるが、とりあえず大きなスケールの言葉で感謝すれば全部入るんじゃない? という考えで、今の時代「愛ある言葉をありがとうございます」が多用されているのではないだろうか。枕詞としての、大きな感謝を包む風呂敷のような「愛」。めんどくさいことや耳の痛いことを言われた時にも「愛」はポジティブに見えて便利だし。

 

「おはようございます」に意味がないのと同じ

おはようございます、といわれて、「いや、早くないけど?」と反論する人はいないだろう。言葉そのものに意味はあるが、意味ではない挨拶機能として存在している。「愛ある」も同じで、助言に愛があったかどうかはどうでもいいのである。単なる、精一杯の最上級表現と捉えていいのではないだろうか。
助言をしたほうから見ると「愛などではなく、真剣に話しただけ。せっかく話した内容を愛でくくらないでくれ」というのがムッとした源泉かと想像するが、そこには特に意味がないのだから、指摘したとて理解されないし、時間の無駄なのである。とっとと読み飛ばして次へ行こう。

これわたし?と思ったら
こだわりつつ、新表現に敏感に
新しい言い回しが引っかかるということは、言葉を丁寧に扱って生きている証拠。素晴らしいことだ。そのうえで、意味のないシン・あいさつ構文は、「あー新しい言い方が発明されたんだな」という軽い気持ちで理解し、受け流すことにトライしてみよう。言葉はコミュニケーションの変化に伴って進化している。使い手の私たちも、残りの長い人生、常にアップデートしていったほうが楽に生きられるに違いない。ありがとう、も、古くは「有ること難し」(めったにないこと)という意味があったわけで、もしかしたらはじめは「簡単に有難しなどというものではない!」と怒っていたおじさんがいたかもしれませんよね。

愛すべきトホホ人図鑑とは

自分のことって自分では意外とわからないもの。「それなりにがんばってきた。成果だってなかなかのもの(周りもそう思ってくれているに違いない…)」。と思っていても、長所と自認するところはちょっと鼻についていたり、短所と思っているところが意外と人に愛されていたり。そこかしこにいる「愛すべきトホホ人」の中に、もしかしたらあなたに似た人がいるかもしれません。違う角度から自分を見つめ、「次のじぶん」への一歩を踏みだすステップを、広く、軽くするきっかけになれば幸いです。

執筆者:ふしみしょうこ
ライター
北海道生まれ東京在住のコピーライター。会社勤めと並行して、ふるさと北海道にまつわるコラムを書いたり、精神的支柱である演劇の界隈で活動、執筆する。人生は劇場であり、いただいたお役を工夫して演じるのが面白さ、という気持ちで生きております。