わたしの
セカンドキャリア

第1回働けるうちは働く。定年がどんどん延長されていく時代の会社員として/荒川 悦子さん

ワーキンググランドマザー 荒川 悦子
教育関連企業に勤続40年。育児関連の編集者をつとめたあと、人財開発部に勤務。ワーキングマザー歴30年、ワーキンググランドマザー歴1年。まだ始まったばかり。
50を過ぎてから消費生活アドバイザーとキャリアコンサルタントの国家資格を取得。これに健康管理士の資格を加えて、「仕事・生活・健康研究所」の看板を掲げることを妄想中。一足先に60歳で定年退職した夫と二人暮らし。近場と遠方に娘が二人孫二人。趣味は山歩きと水泳。

セカンドキャリアを考え始めたきっかけと私のライフラインチャート

定年まであと3年となった57歳のときに、定年より1年早く会社をやめて再就職しようと思いたち、500日間の就活をスタートさせた。といって、やったことは毎日ツイッターで退職までのカウントダウン。初日につぶやいたのは「あと20年働けるとしたら、何やりたい? 10年だったら? 5年だったら?」。翌日は「大学時代に学んだことが、その後どうつながっている? …生涯スポーツ、生涯学習…」。その後、大学の社会人入試や公務員のシニアインターンを調べたりしながら、カウントダウンをしているうちに、会社の定年が60歳から65歳に延長された。

 

「定年まであと2年が、あと7年に。7年あればまだ何でもできそう。働けるうちは働きます!」宣言とともに、カウントダウン終了。そして翌年、人財開発部へのまさかの異動。新しい組織、仕事に戸惑うこと多々。異動して1年後、やめることばかりを考える後ろ向きシニア人材になっていた。

 

なんとか専門性を身に付けたいと、2年間、人材開発やキャリア支援の勉強を続ける。キャリコンの国家資格を取ったものの、自己肯定感が低いままの日々に受講したのが、「ふるさとみつけ塾(現:地方創生セカンドキャリア塾)」。同級生の力も借りながら、これまで自分が積み重ねてきたこと、自分が大切にしてきたことをアウトプットしていく中で、未来に対して少しずつポジティブに。自分にはまだまだいろんな可能性があり、過去の仕事も目の前の仕事も、セカンドキャリアへ続く経験である!と思えたことが、大きな収穫だった。

 

ターニングポイント

3年間の専業主婦生活からの復帰
3年以内再雇用可能という会社の制度で、子どもが2歳になったときに再雇用。この一歩の踏み出しがなければ、まったく別の人生だったと思う。その後制定された育児休業法にも背中を押され、第二子出産。
ネットの仕事から再び編集の仕事へ
新規に立ち上がったネット事業のヘルプデスクを3年。ある時同僚に、あなたはヘルプデスクの将来構想を持っているのか?と問われ、この仕事は自分の仕事ではないとわかる。再び編集に戻る。
ベトナムの障害児支援のNGOに入る
仕事を通して知り合った方に誘われて、海外ボランティアツアーに参加。専門性とキャリアをもった50代の女性が、子育て終了後に社会貢献する姿に心動かされる。その後毎夏ベトナム通い。コロナ禍でいったん休止中。
満足度65%
その理由
人財開発部に異動して3年。一通りの仕事ができるようになり、自己肯定感は回復。今の仕事がこの先の自分のキャリアにつながるためには、もう少しの精進が必要。そして、仕事以外のことにもエネルギーを注ぎたい気持ちがムクムク。山歩きやサイクリング、スキーなど、アウトドアスポーツを楽しむ時間を増やすことができれば、80点。

今後のわたし

元祖ワーキングマザーの先輩に今後の仕事を相談したら、「定年が延長されたら、されただけ働きなさい。やめたくなったらやめればよい!」とのお言葉。後輩に手相をみてもらったら、「会社とか組織の中で力を発揮する相だから、フリーランスや起業はしないほうがいい」とのアドバイス。一足先に早期退職をした後輩からも、「必要とされているうちは、細々とでもいいから会社勤めを続ける。育児も介護も両立してきたんだから、孫育て、娘の両立支援とも、両立!」ときっぱり。

 

だから、今の会社で働けるうちは働いて、もちろん、ダウンサイジングしながら。定年になり、雇用延長も終わったら、会社勤めはもう十二分。そのあとは、働けるうちは働いて得たお金で、大好きな沖縄と信州に拠点を持ち、行ったりきたりしながら、アウトドアスポーツ、ボランティア活動や、友達付き合い、家族との時間を大事にしながら生きていく予定。

 

最近再び始めたツイッターで、「育休復帰後3か月の娘から、近くに家をかりて引っ越してきてほしい。来年から本格化する仕事と子育ての両立を助けてもらえないかとのSOS。自分のキャリアだけでなく、娘のキャリアのことも考える時がきた」とつぶやいたら、若い子育て中のママたちから、「自分のキャリアや人生を大事にして」というメッセージが大量に寄せられてびっくり。娘のためにも、自分のためにも、これからの自分の人生、キャリア…ずーっと現役でいようと決意を新たにしたところ。30年前当時としては、思い切って職場復帰してワーキングマザーに。以来ずーっと両立生活。このまま一生欲張って生きていくんだろうなと思う。

編集部より

荒川さんは、雇用機会均等法や、産休・育休が制度化された第一世代。
「働く女性たちの未来像」を背負ってきた世代でもあります。
ですからついつい自分のためだけでなく、誰かのために頑張ってしまう…そんなところもあるのでは?

 

人生100年時代のセカンドキャリアでは、どうか自分へのワガママを許してあげてください。そうは言ってもなかなか難しい…という場合は、ぜひ広い空の下、両手を思いっきり広げて深呼吸し、自分を解放して「やりたいこと」を素直に感じてみてください。

 

心のままに生きる姿が、後に続く女性たちのモデルになっていくはずです。