わたしの
セカンドキャリア

第13回 会社経営破綻後のリストラ役の辛い経験をバネに 脱サラして新しい仕事を楽しむ/東後直子さん

Smile To Go 代表 東後直子
長崎県出身。地元の大学を卒業後、1987年日本航空入社。客室乗務員として同年6月より採用され、研修を受ける。⽻⽥第⼆客室乗員部マネジャーだったときに日本航空が経営破綻し、管理職としてリストラ⾯談を実施。その後、バンコク⽀店客室乗員セクションシニアダイレクターとして400名以上のタイ⼈乗務員の採⽤、教育に3年間携わったのち、帰国後に退職。いまはインバウンドグルメツアー企画、アメニティ開発などを行っている。

バブルの時期に日本航空に入社。

長崎で大学まで育ち、日本航空に客室乗務員として入社しました。

当時はバブル、地方から来た私にとって東京で見聞きすることはすべてとても楽しく、客室乗務員として充実した時代をおくりました。
JALは客室乗務員と一般業務を交代で担当する伝統があったので、広報部で社内報の編集や社内外へのPR活動を担当したり、客室訓練部では国内や香港、ロンドンでの新⼈を訓練、商品サービス企画部では機内⾷の企画や、チャーター機を使った企画を策定したりしました。
ANAのクリュッグに対抗してファーストクラスのシャンパーニュをサロンにしたのもいい思い出です。こうした経験を積んでいるうちに、JALが外からどう見られているか実感したのもこのころです。

私のライフラインチャート

 

 

 

経営破綻でリストラ面談を経験してタイへ

2009年に管理職に昇格。⽻⽥第⼆客室乗員部マネジャーとして部下70名の育成・管理に携わっていたときに、まさかの経営破綻を経験しました。
早期退職の募集などもあり、大変なことはわかっていましたが、まさか破綻するとはというのが正直なところでした。
いま考えると、商品サービス企画部で機内食の見直しをしたり、機内搭載グッズの削減を行ったのはそうした前兆だったのでしょう。当時はわかりませんでしたが、とにかくキャッシュがなかったのでしょうね。

破綻が決まってからの社内は「辞めるも地獄、残るも地獄」状態でした。私はリストラ⾯談をする立場で、昨日まで一緒に働いていた仲間に「あなたに活躍する場を与えられないかもしれません」と告げるのは本当に辛い経験でした。サラリーマンの悲哀を味わいましたし、私自身もどうしようかと考えましたが、2012年にバンコク⽀店客室乗員セクションに配属されました。ジャルウェイズというリゾート向け格安定期便航空会社をJALと統合するため、シニアダイレクターとして400名以上のタイ⼈乗務員の採⽤、教育に携わりました。
私としてはリストラにかかわったことから、いつかは私もJALを去るのかもしれないと思いはじめたのもこの頃です。自分はJALの「The乗務員」ではなかったなという思いと、サラリーマンは哀しいなという思いから、2015年にバンコクでの3年の任期を終え帰国するときに退職を決断。本社に戻ることなく、辞めました。

 

 

タイでのご縁で見つけたライフワーク

退職後になにかあてがあったわけではなかったのですが、タイ時代の友人から「タイ人を日本に連れていくツアーの企画をしないか」と誘われ、グルメツアーの企画を始めました。
対象はタイ人の富裕層で、有名レストランや食体験を楽しむための旅程を決める仕事です。一週間で300万円以上使うツアーもあります。また、その関係から高級牛肉卸売業に携わったりもしました。

いまは機内のアメニティを作る会社に所属し、アメニティの企画・営業の仕事と、ツアー企画の仕事を主にしています。サラリーマンだったころはこんな仕事をしているとは思いませんでしたが、当時とくらべると世界は格段に広がり「あのころは、なんであんなに縛られていたんだろう」と思っています。

 

3つのターニングポイント

経営破綻でリストラ面談を担当
リストラ面談は本当に辛い経験でした。昨日まで一緒に仕事をしていた同僚、先輩、後輩に「あなたに活躍する場を与えられないかもしれません」と告げるのですが、相手は「住宅ローンが残っている」「子供が出来たばかり」「両親の介護がある」などご自身の状況を話され、なんとか残りたいといわれる。しかし私は会社の方針を告げるしかありません。そういう立場でしたし、想定訓練も受けたのです。ただ、そのときに「リストラをする立場になったからには、いつかは辞めるのではないか」という思いも感じるようになりました。
バンコクで新しい経験を得る
バンコクではタイ人の客室乗務員の採用と教育を担当しました。当時JALの子会社だったジャルウェイズはタイ人客室乗務員を多数採用し、格安リゾート向け定期便を飛ばしていましたが、JALに統合することとなり、JALの乗務員としての教育や採用を担当したのです。タイでの生活は楽しく、仲間にも恵まれましたが、はじめてそりの合わない上司を持ち、やさぐれた気持ちもありました。私は客室乗務員の傍ら、さまざまな部署を経験してきたことから、「いままでも社内で転職していたようなものだな」という気になり、2015年、50歳で辞めようと決意したのです。
タイ人向けグルメツアーの面白さ
考えがあって辞めたわけではないのですが、大企業に再就職するつもりはありませんでした。縁をいただいてタイ人富裕層のグルメツアーの企画をするようになってもう7年ほどになります。先日は能登半島地震のために急遽、予定変更を余儀なくされましたが、福井で越前蟹や蕎麦を楽しみ、工芸品を見学、富山でてんぷらや寿司や懐石を食べ、帰国するツアーを実施しました。みなさん、とても満足され、被災地にきちんと貢献できたと思います。私にとって客室乗務員や商品サービス企画部、タイでの経験がこんなことに役立つとは思いませんでしたが、これを自分のライフワークにしたいと思っています。
満足度80%
いまの仕事を選んで正解でした
アメニティ会社の上司はタイ人で、そういう意味でもJAL時代の最後の仕事がいま、とても役に立っています。サラリーマンだったころにくらべると、すべてのことを自分でコントロールでき、好きなことだけをしていればいい。ストレスなく生活でき、いい友人にも囲まれていますので、私はいまの仕事を選んで正解だと思っています。

今後のわたし

経営破綻がなければ私はいまもJALにいたかもしれませんが、いまの仕事にはとても満足しています。
辛い経験もふくめてJALでやってきたことが、すべていまにつながっていると感じています。

タイ人の陽気さに触れ、海外では「いやなことはやめればいい」という気持ちが当たり前だと知って、人生が楽になりました。壮大なことを見つける必要はなく、気楽に考えればいいといまは思っています。それは、いまの生活が私にとって快適だからかもしれません。

編集部より

バブルの時期に日本航空のCAという華やかに見える仕事に就かれた東後さんですが、会社破綻でリストラを言い渡す担当となり、そこから自分を模索する人生が始まったと聞きました。
しかし、その後のタイ駐在の経験を活かし、食に関するライフワークと言える仕事を見つけるまでの話を聞くと「人間到る処青山有り」という言葉を思い出します。
学びを続けているとどこかできっかけは生まれるものですね。

次のじぶんProject 編集アドバイザー 柏原光太郎