わたしの
セカンドキャリア

第6回50歳で初めて転職、その後50代で2度の転職に成功/ 長野功一さん

株式会社 鎌倉紅谷 ダイレクト・マーケティング部 アソシエイトディレクター 長野功一
1965年生まれ。1988年に株式会社伊勢丹に入社。27年働き50歳で退職。
以降約3年単位で転職を繰返し現在は4社目になります。
【人生で一番大切なのは、思い出をたくさん作ること】をモットーに仕事・遊びに取組んでいます。
家族は、妻と娘二人。趣味は、キャンプ・フットサル・サッカー観戦・ROCK鑑賞・車バイクなど

27年間の伊勢丹勤務を経て、50歳で茅乃舎へ転職

1988年新卒で㈱伊勢丹に入社。理系の私ですがSEなどの専門職に就くより、流通などお客様の顔が見えるわかりやすいビジネスに関わりたいと思っていたところ、ちょうど幅広い人材の採用し始めた㈱伊勢丹とご縁がありました。

婦人靴売り場からスタートして7年は催事担当、毎週切り替わるイベントの企画・運営、1年中お祭りのようでした。同期がバイヤーになっていく中、自分は何を?何がしたいのか?そう思っていた矢先Windows95が発売され、情報化時代と言われるタイミングがきました。

年に1回、自己申告書を出す機会があり「これからは百貨店もデジタル社会への移行にチャレンジすべきでは?」と書いて提出。その後人事から連絡があり、新設されるデジタルマーケテングの部署に異動しました。

ホームページを立ち上げ、モールへの出店からスタートし、その後20年間ずっとデジタルマーケティングの仕事に関わりました。当時、店頭中心だった百貨店業界において、ECに必須の在庫単品管理も完全ではなく「デジタル(EC)の取り組みは仕事を増やす」と現場の反発も多く、説得に大変だったことを思い出します。頭では理解していただけても、実際にやろうとするとかなり苦労が多かった20年でした。

徐々にECの数字が上がってきたころに三越との経営統合がありました。なかなか進まないECの統合に責任とジレンマを感じたこと、また外部の人がディレクションしている姿を見て、自分にもできるんじゃないかな?と思ったことが転職を意識したきっかけです。

そのころ、茅乃舎を運営する㈱久原本家が今後EC強化をするからと知り合いが声をかけてくれました。出身が福岡ということもあり誘われていたのですが、年齢のこともあり2年ほど悩んでいました。

伊勢丹で働くことは好きでしたが、このままの自分と、新たに挑戦する自分を想像した時、あえて、チャレンジするなら今だ!と、50歳というキリの良い年齢で転職を選びました。

 

 

 

新天地に行くことだけで精一杯⁉学び多き3年半

いつも支えてくれる仲間たち

㈱久原本家には知り合いがいたことが大きく、商品の良さもわかっていたので、やりがいがある!と決意。当時は「5年くらいしたら、また戻ってきて東京で仕事をしよう」と思っていました。とにかくまず行くことだけで精一杯、戻ってきてからのことはイメージしないまま入社しました。オーナー企業かつ勢いのあるブランドを持つ会社なので、5年いれば自分のキャリアを活かせると同時に学ぶことも多いのではないか?その学びを持ち帰れば次の仕事はあると勝手に思っていました。

大企業からオーナー企業の社員になり、経営層が近くて伝えやすい事や、判断のスピードが早いなどやりやすい面も多かったのですが、一方でオーナーの気持ちが強すぎてやりきれない部分のジレンマもありました。部署もEC、コールセンター、カタログ通販を経験し、新興ブランドはスピード感と判断力で価値が上がっていくということを学び、たくさんの戦友ができました(笑)
在籍したのは3年半でしたが、単身赴任で家族との距離の遠さがボディブローのように効いてきたこともあり家族の事情で東京に戻ることにしました。

不採用9割の中、エージェントに人間性をPRして2回目の転職に成功

東京に戻ろうと決めてから転職活動を始めましたが、年齢的な問題もあり書類で9割断られるという状況でした。どうしようか悩んだ時に、登録だけでは温度感や人間性がなかなか伝わらないのではないか?と想い、エージェントのスカウトの方2~3人に直接会いたいとアポイントのお願いしました。
自分を良く知ってもらおうと思ってとったアクションでしたが、実際にそこからは良いお話をたくさんいただくようになり、大王製紙㈱がちょうどデジタルマーケティング人材を探しているということで話が決まりました。

久々の大企業ではデジタルの取り組みがすごく遅れていました。課題を整理して社長に「当社は15~20年遅れている」と言い切り、解決するための組織づくり、デジタルマーケティングの提案を行いました。周囲の人からはは「よくそんなことが言えるな」という雰囲気でしたが(笑)、自分にはそのために入ったという使命感が強くありました。
おかげで組織を作らせていただき、デジタル関連の取り組みを各ブランドで実施、新しい会員サービスを導入しモチベーション高く仕事をしていましたがそこは大企業、59歳役職定年という目の前に見えている期限が迫ってきます。
そんな矢先、スカウトから㈱鎌倉紅谷のお話をいただいたのが56歳の時でした。「まだ早い…」という気持ちもありましたが、組織ができメンバーが育っていたこともあり転職を決意しました。

3回目の転職で認識した自分の強み

趣味のバイク、愛車のハーレー

転職を決意した理由は年齢的なことに加え、大王製紙㈱ではデジタルマーケティングが中心で直接ECには関われていなかったことがありました。その点、㈱鎌倉紅谷には何より「クルミッ子」という商品があります。「私はECでモノを売ることに経験もやりがいも感じるのだ」と自分を知ったことが大きかったと思います。茅乃舎での経験を活かせるなと思ったことはもちろん、スカウト連絡の翌日に新宿伊勢丹出店のリリースが出て「これも縁だな」と。自分の人生が全てつながっていることを感じ、背中を押される面もありました。
転職してちょうど1年がたち、今は57歳になりました。
店頭中心の販売形態から、コロナでECの強化がスタートして2~3年。EC担当に専任者が少なく課題や改善の取り組みに自分が必要とされているし、売れるMDもある、これは面白そう!任せていただける部分も多く、現在もモチベーション高く仕事をしています。

㈱鎌倉紅谷の定年は65歳、収入面では前職よりダウンしても、長く働くことができれば生涯賃金は増えます。
人生100年時代と言われる中、自分のキャリアが59歳で終わりというのが正直とても嫌でした。またそれだけでなく、勢いのある会社に自分のリソースを振って、いくつになっても自分も成長していきたい!
それが自分らしく、いつまでも成長に貪欲でありたいと思っています。

3つのターニングポイント

伊勢丹時代
人間形成としての基盤(社会人・生き方)
取組み意識 チャレンジ
顧客第一
新しい最先端の取組み・本物に触れる(商品・人材)
仲間
家族:責任感 人生の豊かさ
会社:転職時の採用メンバーとのつながり
趣味:サッカー・ハーレー・キャンプ・バーを通した上下関係ないフラットな関係
転職
自分の強み・弱みの再認識
今までの経験を活かしたモチベーション向上
足らない部分の更なる学び・キャリア形成
仕事を通じた新たな仲間づくり
満足度80%
全ての経験と仕事がつながっていく幸せ
残りの20%は伸びしろです。
まだやり切った感がないし、まだやっている途中。100%だと全て終わってる状態だと思うし、それ以上はあがらないですからね。
でも80%は高いでしょ?仕事していても遊んでいても、幸せだなって思うので80%としました。
今までの積み重ねが、現在の仕事に生きていることが何よりHAPPY、三越伊勢丹、久原本家(茅乃舎)、大王製紙、鎌倉紅谷(クルミッ子)と全ての経験が活かされている。そう考えられる仕事人生は幸せだし、誇りです。

今後のわたし

久原本家で「ECは商品ありき」ということをはっきり知りました。テクニックで多少山は作れても、継続してお客様を作るのは難しい。転職活動をしていると、長野さんの力でECで売れるようにして欲しいと言われることが多かったのですが、正直なところ非常に難しいです。良い商品、美味しい商品、お客様に喜んでいただけるものをECを通して全国のお客様に知っていただく点にやりがいを感じます。
ですから、㈱鎌倉紅谷からお声がけをいただいたのは本当にラッキーでした。

㈱鎌倉紅谷(クルミッ子)は大人気で、ECで販売すると当日で売り切れてしまうのですが、2~3年後に小田原新工場ができることが決まりました。機動力が上がる時までにサイトのリニューアルや組織など、インフラを整えておこうというのが、この2~3年の仕事です。

将来的には地方に眠る良い商品を掘り起こし、世の中へ紹介する方法のお手伝いをしてみたいな…と今は思っています。これは会社としてではなくわたしの個人的な考えです。予算がないけれど良いモノであれば売れるのか?そこをどういう知恵でやっていくのか?今まで避けてきたところですが、最後はそこをやってみたい…と思っています(笑)。

編集部より

長野さんと初めて出会ったのは1995年、ITバブルと呼ばれていた時代です。当時、様々な会合でよく顔を合わせていたことを思い出します。大手百貨店から出席していたのは彼だけだったので、本当に目立っていたと思います。一緒に伊勢丹でオンリー・アイのプロジェクトを担当させていただき、顧客のみなさまと共に世の中にまだないモノを作る商品開発や販売の経験もさせていただきました。今考えるとあの時は内部調整が本当に大変だったのではないでしょうか?商品はよく売れ、売り場記録を作ったこともありましたよね。今回のインタビューで長野さんから「あの時のことは、伊勢丹人生で1,2を争う楽しい仕事だった」と言っていただけたことは私の誇りです。

その後の転職活動のお話を伺っても、長野さんの歴史は「アクションの連続」であると思います。恐れずぶつかる、やってみてダメならまたその壁を超える努力をする。

セカンドキャリア層は「年齢」という壁を「越えられない高い壁」と感じてしまうことが多いですが、長野さんのチャレンジにはその前提はありません。長野さんが特別なのでは?と思われる方も多いかもしれませんが、多分それだけではなく「やるかやらないか?」の問題も大きいと感じます。

長野さん、また近いうちに一杯やりましょう!本当にありがとうございました。

 

次のじぶんProject プロジェクト プロジェクトリーダー 北村貴