愛すべきトホホ人図鑑

ピカピカのおしゃれなところじゃなくても

仕方ないので友人に尋ねる。「どこも取れない!どうしたらいい!?」。彼女の答えははっきりしていた。「そういうときは、ピカピカのおしゃれスポットより、あなたのいつもいってる店をはしごしたり地元を案内するほうがずっといいよ?自分がそうされたらうれしいでしょ」。あーうんうん、確かに。外国で地元民が好むようなところに連れて行ってもらうと旅気分が高まるし、なんだかコミュニティに溶け込んだようなうれしさがある。なぜ、もてなす側になると感覚が鈍るのだろう? 「自分を良く見せようセンサー」が発動してしまうのか。恥ずかしい。以前友人の家にランチに招かれ、「これすごく気に入ってるんだ。冷凍食品なんだけど、本当においしいの」「このサラダは母のレシピで、家族全員大好きなの」と、彼女が気に入っているいくつかの料理を出されて、ああ、この人ちゃんと生活しているな、かっこいいなと感激したことを思い出した。気取らず、気負わず、好きなものでもてなす。それができる大人になりたい。

 

家に招待したらめちゃくちゃ感激された

仕事で日本にやってきたパートナー会社のチームと食事会をしようということになったとき。仕事相手なのだからちゃんとしたレストランに…というのも数回実施して飽きてきていたので、何の気なしに「私のうちにいらっしゃいますか?」といってみた。その時の相手のうれしそうだったことといったら!「えっ!本当にいいの!(わくわく)」という感じで、日本の一般家庭に潜入するのがすごい体験のように喜んでくれた。こちらも自宅であるので、くつろいでいられたことも原因かもしれないが、大したごちそうがなくても話が盛り上がり、思い出に残るディナーになった。かんばると、自分らしさが見えなくなる。いつもを、いつも通りに共有することで、わかりあえることもあるなと感じた。

これわたし?と思ったら
いつもの自分を見せることが最大のもてなしになることもある
どんなときも、臆せず普段通りでいるためには条件があることに気が付いた。よそゆきと、普段の自分を分けないこと。話すこと、食べるもの、着るもの。普段のチョイスにまあまあ満足していることが大切なのでは。仕事でもそうだ。セカンドキャリア世代が無理して変な方向に頑張るより、リラックスしていつも通りにやることが新鮮に見えるのかもしれない。そういえば若いころ、良く見せようとしない先輩はかっこよく見えたな。

愛すべきトホホ人図鑑とは

自分のことって自分では意外とわからないもの。「それなりにがんばってきた。成果だってなかなかのもの(周りもそう思ってくれているに違いない…)」。と思っていても、長所と自認するところはちょっと鼻についていたり、短所と思っているところが意外と人に愛されていたり。そこかしこにいる「愛すべきトホホ人」の中に、もしかしたらあなたに似た人がいるかもしれません。違う角度から自分を見つめ、「次のじぶん」への一歩を踏みだすステップを、広く、軽くするきっかけになれば幸いです。

執筆者:ふしみしょうこ
ライター
北海道生まれ東京在住のコピーライター。会社勤めと並行して、ふるさと北海道にまつわるコラムを書いたり、精神的支柱である演劇の界隈で活動、執筆する。人生は劇場であり、いただいたお役を工夫して演じるのが面白さ、という気持ちで生きております。