わたしの
セカンドキャリア

第2回仕事の中に次のステップの萌芽を見出し、最後に行きついた「第二の人生」構想/柏原光太郎さん

EC事業開発局長 兼 文春マルシェ・チーフプロデューサー
日本ガストロノミー協会会長
柏原光太郎(かっしー)
1963年東京生まれ。出版社で雑誌や出版などの仕事の傍ら、グルメガイドの取材、編集などをするうちに料理の魅力にはまり、会社員人生の最終ステージで新規事業として食のお取り寄せ「文春マルシェ」を立ち上げる。

セカンドキャリアを考え始めたきっかけと
私のライフラインチャート

新卒で出版社に入って、40代まで週刊誌や小説雑誌、文庫本制作などの編集の仕事をしていました。
当時、編集者の仕事は「広く、浅くがモットー」といわれました。いろんな分野を齧らせてもらえた自由を満喫しながらも、器用貧乏でいる自分になんとなく危機感を覚え始めたのは、40代に入って編集の仕事を離れ、プロモーション、デジタルなど新規事業を考える仕事をするようになった時期からでしょうか。
 

「編集」という曖昧模糊なスキルしかないままでいる自分に対して、PR、宣伝、デジタルといった確固たる分野を持ち、自信をもって語る人々(しかも若者!)と交流しながら、自分の強みは果たしてあるのだろうかと考え始めたのです。 

 小説の世界やスキャンダル発掘の喜びに没入しきれない違和感を感じながら仕事をしていた頃も、私は社外の人々との交流が圧倒的に多かったのですが、編集から離れることによってますます増えていきました。
そんなときに出会ったのが
facebookでした。私が始めたのは2010年ですから、いまから12年ほど前、40代後半のことです。 

いまから考えるとすでにITは時代の先端だったはずですが、マスコミの人々はまだ、このさきデジタルは頭打ちになり、活字に戻ってくると信じていました。私も以前、ツイッターには挑戦したものの、その面白さが分からないまま自然消滅していました。

とはいえ、なにかやらないと時代から取り残されるのでないかという漠然とした不安からFacebookをはじめたのです。
これが続かなかったらもうSNSの世界には入れないなあと思ったことを覚えています。

3つのターニングポイント

Facebookから生まれた新しいコミュニティ
東北大震災直後の飲食業界は2年前のコロナ禍と似ていました。「東北の人々が罹災しているのに東京の人間が酒飲んで飯食って騒いでいるのはけしからん」という自粛論が台頭し、花見は中止となり、飲食店に行くのもはばかれた空気がありました。
しかし、私は「我々は幸いなことに罹災しなかったのだから、もっとお金を使って経済を回そうよ」と思っていたので、「外食産業を勝手に救済しょう」というFacebookページを、食評論家のマッキー牧元さんと一緒に立ち上げたのです。
点が線になり、線が面になっていく実感
実は器用貧乏な私ながら、唯一趣味として長続きしていたのが食に関する興味でした。大学時代から食べ歩きも作ることも好きで、会社では食評論家の山本益博さんの担当をしたり、食べ物ガイド「東京いい店うまい店」の覆面ライターや編集、ペンネームでの執筆もしていました。そうした中、飲食関係のさまざまな人と知り合ってはいたのですが、それは点と点でつながっているだけの状態でした。ところが、このFacebookページがブレイクしたおかげで、同じように食を好きな仲間がつながり、点は線になり、面になりました。そこからさらにさまざまな人々と有機的につながるようになったのです。
趣味の「食」が最後は本業
その後もFacebookページをいくつも立ち上げ、油を断つことを大敵と考える「油断大敵の会」では関西の食いしん坊とつながり、料理好き男子が集まる「台所男子の会」は、その後私のライフワークにもなる料理好き仲間のプライベート倶楽部「一般社団法人日本ガストロノミー協会」へとつながりました。そして、なんと本業の出版社でも、新規事業開発担当として食のお取り寄せサイト「文春マルシェ」を立ち上げることとなったのです。
満足度80%
会社から「コンテンツに依存しない新規事業を立ち上げてほしい」という命題を与えられ、いろいろ出したものの、役員会の裁可がなかなか得られず、部員たちから「柏原さんは食のことをやりたくないかもしれないけれど、それが一番近道じゃないですか」という声に踏ん切りがつき、提出したのが食のお取り寄せでした。構想を練り始めると、実は周囲に助けてくれる人たちはたくさんいらして、そのおかげでスタートまでこぎつけました。つまり、同じ会社にずっといながら、編集からいくつかの新規事業の立ち上げを経て、食事業を本業ですることとなったわけです。そういう意味では、私が長期間飽きることなく続けてきた「食」を最後に事業にすることになったのですから、社会人人生としては恵まれていたように思います。

今後のわたし

 

「文春マルシェ」の準備をはじめたのが57歳の時です。半年後にスタートし、2年半後の2023年3月に私は60歳になります。この事業を始めてから、覚悟が決まり、60歳からの第二の人生は食を中心としたビジネスを行うことにしました。 

 59歳になった時、これまで自分が出来てきたことの分析、いわゆる「棚卸し」をしてみました。すると中途半端のように思えていた編集者やライターのスキルが実は、食文化の表現や地方創生、飲食店の経営者との交流などにとても活かされてきたことがあらためてわかりました。また、若いころは無闇に人と会うことで人脈が出来たような気がしていましたが、さきほど書いたように、それは点の集合体に過ぎませんでした。年月を経て、点が線になり面になると、違う点を中心にして出来上がった面とつながることもでき、面はさらにひろがってきています。 

いま、本業の「文春マルシェ」と同じくらい、個人的に力を入れているのが一般社団法人日本ガストロノミー協会の活動です。スペインのサンセバスチャンは世界一の美食都市として知られていますが、その街を底支えするコミュニティ「美食倶楽部」を日本でも根付かせたいと思って始めたのが、日本ガストロノミー協会です。代々木にキッチンを構え、そこに「食」が大好きな人々が集い、自分たちで作ったり、食べたり、話をする「食コミュニティ」の拠点を作りました。食文化を発展させるハブになりたいと思って始めたのですが、この会の活動もいまや、私のほかの活動と重なってきたから不思議なものです。 

 私のようにこれまで転職もしたことのないシニアが第二の人生を歩むときは不安しかないでしょう。私のいまの気持ちもそうです。ただ、じっくり自分の社会人人生を振り返ってみたことでわかったのは、無駄な仕事はないということ。そして、思いもかけないことが今後のキャリア形成にプラスにつながりそうだということです。そういう意味では、人生100年時代の中、まだ40年ある第二の人生は、まだまだやることがたくさんあります。 

編集部より

柏原さんのお言葉の中に「器用貧乏」「曖昧模糊なスキル」という言葉が出てきていましたが
はた目から見ると決してそんなことはありませんよね?

しかしこの世代の方には、同じように考える方が多いように感じます。
実はみなさん「ポータブルスキル」を持っているにも関わらず「自分はつぶしがきかない」と不安に感じられている方が多いのはもったいない!

ライフラインチャートは、自分を見つめ直すためのツール。
是非一度自身のライフチャートを書いてみて、キャリアライフとスキルを見つめ直す機会としてみては
いかがでしょうか?

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