わたしの
セカンドキャリア
第5回外資を選び自分で仕事を選択する人生/ 牛来みづほさん
雇均法は施行されたが、変わらない男女差別の中で考えた就職
育ってきた家庭が英語にフレンドリーだったことや、入学した慶應義塾大学法学部政治学科が帰国子女の多いところだったため、周囲に英語ができる友人が多かったこともあって、大学時代から英語を積極的に学んでいました。すでに雇均法(男女雇用機会均等法)は施行されていましたが、日本の企業ではまだ女性はコピー取りやお茶汲みが当たり前だったことがいやで、4年生になったときには外資系一本に絞り、就職活動を開始。
最初に入ったのはシティバンクでした。上司や人事から最初に「コピー取りをする暇があったら120%の力を出して仕事をしなさい」といわれ、プロとして仕事をする覚悟を教わりました。また外資らしく、会社の事情や個人の力量により、組織が柔軟に、時に激しく変わっていくことも経験しました。変化が激し過ぎて、組織図もなく、人を肩書きで呼ぶこともありませんでした。
その後、仕事は面白かったものの、激務の中で私がしたいのは数字を扱うことではなく、人とのコミュケーション業務だと気づき、以後人とかかわる仕事と金融系を中心にいくつも渡り歩きました。外資ばかりだったので、自分の仕事について満足に思えなくなったり、会社が自分を必要としなくなったら、ほかの企業に移ることは当たり前のことだと考えていました。
2012年に仕事外で、自分の興味から、プロコーチになるためのコーチングスクールに通い、200時間以上の研修を受けました。質問力や傾聴力を身に着けることで、その後の管理職としての仕事に大いに役立ったのですが、それ以上に、キャリアで悩んでいる女性のお役に立つのではないかという気持ちが徐々に沸き起こり、転職相談を含めたキャリアコーチングを個人的に提供することを決めました。
現在はまだ副業ですが、これが私の目指す仕事だと思っています。
3つのターニングポイント
私は、高校生の交換留学プログラムの担当で、留学生と保護者のケアが仕事でしたが、思いもつかないようなトラブルが起こるなど、忙しすぎた5年間。しかしこの会社で、私はコミュニケーションを取ることが一番好きなのだと気づきました。そして、自分がこの会社で高校生に対してやっていたことが、実はコーチングだったと気が付いたのは、10年以上も後のことでした。
今後のわたし
現在は、国内外の富裕層向けのグローバルコンシェルジュサービスの会社で、主にお客様にご利用いただく飲食店等との優待開発の仕事をしています。これまでの仕事で培ってきた経験と趣味の食べ歩きが活かされる場所だと思っています。いっぽう、コーチングは2016年から起業準備やプログラム開発を行い、2021年からキャリアに関する講座とプログラムを始めました。少しずつではありますが、複数のクライアントにコーチングを提供しており、転職に成功された方もいて、数年後をめどにこちらをメインのキャッシュポイントにしたいと思っています。
編集部より
私が社会人になったのは男女雇用機会均等法が成立した年でした。翌年から施行されましたが、大手証券会社に入った大学の後輩の女性が「最終面接で『君は出世させるが、マスコミなどにも積極的に出て客寄せパンダになるように』といわれたんです」と語っていたことを思い出します。いまだったら大変な舌禍事件ですが、法律を作ることが必要なほど、女性は大変だったと思います。そんな時代に外資を選んだからこそ、牛来さんは自分のしたい仕事をしっかりと見定め、やりたいこと、好きな仕事に一途に向かっていく方向性を次々と築き上げてきたのだと思います。でも、その考え方は、どんな年からでも応用できると思っています。彼女のこれまでの生き方にはたくさんの示唆が詰まっています。
次のじぶんProject プロジェクト 編集アドバイザー柏原光太郎